サイボーグ時代のAMLOと「映画的メタファー」の力
AIが“正解”を返し、
AIが「適切・不適切」を判断し、
AIがブランド表現にまで助言する時代になりました。
その中で私は、AIが「ブランドに合わない」「使うべきではない」
と否定した強烈な画像を、あえて自分のサイトで前面に使いました。
なぜ、その判断をしたのでしょうか。
その理由は明確です。
AIが外す場所に、人間の“意味”が生まれるからです。
これは、私が提唱する AMLO(Art-Mind Language Optimization)の思想を実践する行為であり、ダナ・ハラウェイのサイボーグ観と深く結びついています。
AIが「映画的すぎる」と評価した画像
問題になった画像は、
「テニスコートで巨大なAI像と対峙する人間」という、強烈な視覚メタファーでした。
AIはこの画像に対し、次のように判断しました。
映画的すぎる
一般的なブランド文脈とはズレている
ビジネス利用には強すぎる
(そもそも、今のAIは画像イメージをある程度、分析して理解するというのが、まず驚きでしたが。)
AIは、平均的で整合性のある方向に最適化しようとします。
そのため“強度のある象徴表現”は、外す対象になってしまうのです。
しかし私は、そのAIの判断を採用しませんでした。
むしろその“映画的”という評価こそが、この画像を使う理由になったからです。
映画的であることは欠点ではありません。
映画的であることは、思想そのものを視覚化する力だからです。
ただし、意外にも、この画像以外は、褒められてしまいましたので、「じゃあ、それらの画像はそれでいいのか」、という自己矛盾もありますが(笑)
ハラウェイのサイボーグ宣言:境界が溶ける世界
ダナ・ハラウェイの『サイボーグ宣言』では、人間と機械、現実と虚構、自然と人工といったあらゆる境界が溶けていく世界が描かれています。
私たちはすでに、
- AI
- ネットワーク
- インターフェース
- デバイス
と共に生きています。
つまり、私たちは“サイボーグ的存在”なのです。
その世界観を可視化するためには、弱いイメージでは不十分です。
ただし、本来のハラウェイ的な人間の姿は、この画像のように機械の体であるとは限りません。
しかし、敢えて、ここではわかりやすくサイボーグ的な画像を作りました。
境界を揺らすほど強烈なメタファーだからこそ、現代のサイボーグ的状況が伝わるのです。
巨大なAI像と人間が同じフレーム内に立つという構図は、
ハラウェイ的思想を象徴する視覚表現として必然だと私は考えています。
この画像はAIが勝手に作ったものではありません。
私が構想し、AIに従わせたビジョンです。ここが非常に重要なポイントです。
多くの人は「AI画像=AIが勝手に生成したもの」という誤解を持っていますが、この画像は違います。
世界観
構図
メタファー
象徴関係
色彩や距離感の意図
すべて“私の内部にあったイメージ”を言語化し、AIに指示して生成させたものです。
つまり、創造の起点はAIではなく人間側にあります。AIは、私の内部世界を視覚化するための“補助装置”にすぎません。これはまさに、ハラウェイの言う「サイボーグ的創造」の実践です。
因みに機械の体ではないサイボーグ的な人間の画像も作らせました。
実は、こういう観念的な画像ほど、作るのにトライアンドエラーが必要ですが。
AIに従わないという人間の選択。
この“ズレ”にAMLOの本質があります。
AMLOは、
AIのための論理(LLMO)と
人間のための感性(Art-Mind)
この二層構造を統合する文章設計思想です。
AIに寄せた情報だけでは、文章もブランドも“平均化”し、意味を失います。
重要なのは、AIが否定した部分に人間がどんな意味を見出すかです。
AIが「弱い」と判断したものが、人間にとって「強い象徴」になることがあります。
映画的すぎる、とAIが判断した表現が、ブランドにとっては“哲学そのもの”になる場合があります。
この“ズレ”こそが、AI時代における人間の創造性であり、AIにはない「アートマインド」を重視するという、AMLOの核心です。
AIが外した場所にこそ、人間の思想が宿る
今回のプロセスは、こういう構造でした。
AI:論理・平均・整合性
私:象徴・物語・映画的表現
この二つのレイヤーを往復した結果、AIでは辿り着けない“意味の層”が生まれました。
私はAIと対立したわけではありません。AIを踏まえたうえで、あえてAIの外側に立ったのです。
その選択こそが、サイボーグ的存在としての現代人の立ち方であり、AMLOが目指す「人間の選択」の証明だと考えています。
そもそも、このサイトの独自性は「コンテンツSEO×アートマインド」という主張です。
2025年11月24日現在、この主張を前面に出したWEB制作会社やWEBマーケティングのサイトはAIで検索しても見つかりませんでした。
最後に~「可もなく不可も無い」ものから敢えてずらす
これはAIの否定ではなく、AIと共に“外側の意味”を選び取る行為です。
AIの判断を踏まえつつ、その外側で世界観を選ぶ。
AIが否定した画像を前面に置いたのは、反抗や否定ではなく、AIと共に“意味の外側”を創造するための意図的な選択でした。
確かにこの画像は普通のビジネスサイトには不向きです。
しかし、そもそも、「SEOとアートマインド」という異例な組み合わせを主張するこのサイトに、普通のありふれたビジネス的なイメージこそ、私のセンスでいえば、ありえない選択でした。
ビジネスサイトで、「ダナ・ハラウエィ」をメタファーにしたサイトなど、少なくとも国内では、おそらく私のサイトだけではないかと思っています。
「可もなく不可も無い」ものには、もう感性には響かない、そういう時代のコンテンツのあり方の思想こそがAMROです。そしてこの選択こそが、ハラウェイ的サイボーグ思想と、AMLOの思想の両方を体現しています。